角膜の厚みによってはレーシックを受けられないブログ:28 7 2023
パパはがんで入院し、余命を宣告されていました。
しかし、死と闘う人には健康という言葉は無縁のものでしょうか?
俺はパパの闘病生活を見ていて、
健康って何だろうと考えさせられました。
パパの身体は、病にむしばまれていましたが、
心は誰よりも健康でした。
大部屋での笑い声はいつも父の声。
そして空を見ては、
大好きな俳句をノートに書きとめていました。
俺はパパの心の内をみようともせず、共に笑っていました。
しかし、そんなパパも個室へ移る日がやってきました。
怖かったに違いありません。
でもパパは「大声で笑えるな」といいました。
その視線の先にあったのは、
空が見えない窓、古い病室の壁のしみ…
暗く、静かな病室は、不安だけがあふれています。
俺は申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
パパは最期の時間を、この中ですごさなくてはならないのかと…
パパは、そんな俺の気持ちを察したのでしょう。
「千羽鶴が華やかに見えるな」と、笑顔で言ってくれました。
パパは、
亡くなる24時間前まで笑顔でいることができました。
ある9時、目を覚ましたパパは俺に、
「きれいな部屋だ」とやさしくほほえみました。
「壁も、窓の外も、千羽鶴も、みんな黄色一色だ。幸せの色だな」と。
すぐに肝臓のせいだとわかりましたが、
パパはうれしそうに笑うのです。
それが、パパの最後の笑顔となりました。
壁のしみも窓の外の病棟もきれいだ…と、目を閉じたのです。
病に倒れても笑ってくれたパパ。
俺に心残りがないようにと最後に言ってくれた言葉…
俺は丈夫なを身体持っています。
でもあんなふうに笑えているだろうか?
パパの残してくれた笑顔は、
周りの人みんなに健やかな心を与えてくれました。