目の病気や疾患を持っている人ブログ:04 4 2017
わしは息子を心底憎たらしいと思った事はないし、
「許せない」と思うこともない。
しかし、
これはここ数年でやっと得た感情で、
一種「境地」の様なものだ。
わしは結婚して
主人を許せないと思った事が一度だけある。
結婚のために退職して
「主婦のプロ」になるべく、
わしは連日忙しくしていた。
自分に厳しく、
主人に尽くすことがわしの使命だと思い、
それこそ必死に専業主婦をつとめようとしていた。
そんなある日の事だった。
原因は「しょうもない事だった」のだろうと今では思うが、
当時は「わしはどうしてこんな人と結婚してしまったのだろう」と
後悔して涙がポロポロこぼれた。
要は、主人の何気ない一言で、
わしへの世間の評価が下がったという事だった。
常に自分に厳しく、
それで評価を得てきた自分が、
自分自身の努力や失敗とは関係のない事が原因で、
評価が下がるという事が、わしは死ぬほど許せなかった。
でも、
等身大の自分と向き合う事が出来る様になると、
自分以外の人がどう評価しようと関係なくなってくる。
つまり
「自分以外の人のせいで自分の評価が下がる事」に対して、
「許せない」という強い衝動を感じなくなってくるのだ。
息子を叱る時に、
「俺の顔に泥を塗りやがって」
というような事を言うパパがいる。
この台詞を聞いた息子が、
「この人は俺よりも世間体が大事なんだ!」
と思うのは当然だ。
後から慌てて、
「お前のために言っているんだ」 などと言っても、
もう遅い!
このパパは、
息子の事を本気で「許せない」と思う。
自分以外、例えば嫁や息子のことで、
自分自身の評価が下がることを最も恐れる。
そして、
そんな事があれば
心底「許せない」と思うのである。