クリニックの環境でレーシックの失敗例


クリニックの環境でレーシックの失敗例ブログ:30 11 2021


あたしは両親と離れて住んだことが今までない。

生まれた時からあたしが21歳になるまで、
一番長い時間離れていたのは
あたしが修学旅行に行った時の5日間ぐらい…

特に、
あたしとママの関係は特別で、
あたしの娘の頃のあだ名は
「ママのしっぽ」だった。

ただの一秒も
ママのそばを離れないということから、
誰かが私につけたあだ名だ。

だが、あたしも年を重ねると、
ママのそばにいつも一緒にいるのは
だんだん難しくなった。

学校の授業、仲間との遊び、サークル活動、バイトなど
あたしとママの間にはいろんな邪魔者が増えてきた。

そんな中…
あたしの1年間の交換留学は、
両親にとって「衝撃的なニュース」であった。

自分の女の子が外国で暮らす…など
想像もつかないことだった両親。

しかし、
両親は笑顔であたしに「さようなら」を言った。

別れの時、あたしは馬鹿みたいに空港で、
「わああんわああん」
声を出して泣いてしまった。

父はおととし退職。
貧しくはないが、決して裕福ではない家庭、
これがあたしの家庭だ。

また、今まで離れて暮らしたことない女の子を、
外国に送り出す両親の心はどうだっただろう…
彼らも心の涙を流したはずだ。

飛行機の中であたしは決意した。
これから、一人で立ってみよう。
両親に絶対心配をかけない。

そこで、考えたのは
自分の生活費は自分で稼ぐこと。

あたしには何も言ってくれないが、
父も退職したことだし、
きっとお金の問題があるはずだと思って
バイトをすることにした。

バイトができる資格証をもらった後で
あたしはすぐバイト先を決めた。

ホテルでのバイトとレストランでのバイト。
二つのバイトは簡単ではなかったが、
生活費には充分だった。


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