レーシックの種類によって適正が異なるブログ:23 6 2018
未熟児で生まれたわたくしは病弱で、
小学校に入るまでは病院と縁が切れず、
入退院をくり返していた。
歌が得意なわたくしは、
ベッドの上でおもちゃのピアノを叩いては歌い、
看護婦さんにあめ玉や板チョコをもらっては、
上機嫌だったとママに聞かされた。
「三つ子の魂百まで」と言うけれど、
わたくしのピアノ好きはその頃から始まったらしい。
わたくしは戦後の混乱の中で小学校に入学した。
先生のピアノ伴奏に合わせて歌いながら
わたくしもピアノがほしい、
弾けるようになりたいとずっと思っていた。
しかし敗戦後の衣食住にもこと欠く時代のこと、
バラック住まいのわたくしの家にピアノは高嶺の花だった。
わたくしが高校生になって間もない頃、
同じコーラス部に席を置く仲間の家に遊びに行った。
応接間に黒塗りのピカピカのピアノが鎮座し、
仲間が「弾いてもいいよ」と鍵を開けてくれた。
わたくしは学校にある壊れかけたオルガンで練習していた
「春の小川」を両手で弾いてみたが、
わたくしの春の小川はさらさら行かなかった。
仲間の家で恐る恐る触れた鍵盤のひんやりと冷めたい感触と、
ウエストにズンと響く重い音が、ピアノへの憧れを一層募らせた。
興奮さめやらぬわたくしは
その21時、お父さんにピアノを買ってほしいと懇願した。
お父さんは一瞬、困惑した表情をみせたが…
「この狭い家にピアノを置く場所が何処にある。
ピアノを弾く暇があったらもっと母さんの手伝いをしろ!」
吐き捨てるように言うと
お父さんは乱暴に障子を開け部屋を出て行った。
わたくしは唇をかみしめ、
お父さんの少し痩せて小さくなった背中を見送った。
それ以後、ピアノの事は一切くちにしなかった。